なにをやりがいとするか
仕事に対するモチベーションはひとそれぞれで違いがあるかと思いますが、〝やりがい〟について改めて考えてみるといまいちピンと来る理由が思い浮かばない人も多いのではないでしょうか。
私自身の考える仕事のやりがいは給与と疲労感のバランスで判断しているかなと思っています。疲れれば疲れるほど給与が貰える環境が理想的だと思っています。
また、理学療法士や作業療法士の仕事をしている人に限れば、患者さんの機能回復や感謝の言葉が〝やりがい〟に直結している場合など、答え次第でその人の価値観も垣間見えることができます。
そこで今回は、仕事のやりがいはどこからやってきて、どのように影響しているのかを調べてみることにしました。
辞書に載っている〝やりがい〟の意味
辞書に載っているやりがいの意味を調べてみると〝そのことをするだけの価値と、それにともなう気持ちの張り〟と定義されていました。
また、別の辞書には〝物事をするに当たっての心の張り合い、しがい〟とも定義されています。
要するに、その仕事に従事するだけの価値をなにかしら自分で見出せていれば、それが立派なやりがいという解釈で良いようです。
やりがいがなくても仕事はできる
仕事に〝やりがい〟を感じられない状態とはどのような環境で生じるのでしょうか。というよりも、仕事に〝やりがい〟を感じる必要はあるのでしょうか。
一般的に、仕事に取り組むモチベーションが低い、自分がやっている仕事に誇りを感じない、昇進や昇給の機会が少ないといった部分が気になっているとやりがいを見出すことは難しいといわれています。
一方で高い給与や、プライベードの時間を優先できる環境で仕事を選んでいる方も多く、無理にやりがいを見出す必要はなく決まった時間だけ仕事をしていれば問題ないという見方もできるようです。
仕事に対する〝やりがい〟はなくても、給与やプライペートの時間などの得られる対価に〝やりがい〟を感じていると考えれば自然なことかもしれません。
〝やりがい〟を得るために退職した同僚
仕事のやりがいについて考えるようになったきっかけは同僚の転職でした。その同僚はイラストや空間のデザインに興味があり、事業所のパンフレットやデスクの配置など多方面で力を発揮していました。
後に行きつけの居酒屋でデザインの腕を買われ、メニューの看板を描くアルバイトを請け負ったことがありました。
その時は少ない報酬でしたが、自分のデザインがお金に変わったことをとても喜んでいました。
次第に今の仕事を辞めてデザイン関係の仕事をしたいという思いから転職を決意した同僚を見て、なんだかかっこいいなと思いってしまいました。
給与面でいえば今の仕事のほうが恵まれていますが、それよりも自分が楽しみながら取り組める仕事に〝やりがい〟を見出せたのだと思いました。
資格があるとそれに縛られ守りに入ってしまいがちですが〝やりがい〟に魅了されてあっさりと仕事を変えられる決断力を羨ましく思う出来事でした。
まとめ
仕事に対する〝やりがい〟について考えてみた結果、
⑴自分の中でやるだけの価値や心の張り合いを感じられる部分を探してみる。
⑵意外と仕事の対価として得られるなにかにやりがいを見出せることもある。
⑶心が揺れ動いたら〝やりがい〟を感じる方へ行ってみる。
コメント